第1章 はじめに

自己紹介

初めまして。

YouTubeチャンネル虹色の朝陽を運営しております朝陽の母です。

ユーチューブの他にもブログやインスタグラムや音声配信Voicyでも発達障害児の子育てについて発信しております。

こちらの記事は大変長いので上にある目次を表示して気になる所からご覧ください

私は小さい頃から保育士になることが夢で学生の頃に保育士と幼稚園教諭二種免許を取得しました。

結婚出産を経て 小さい頃からの夢であった保育士の仕事に就き約2年間認定こども園のほうへ勤めていましたが、息子の発達障がいが分かり仕事とのバランスが保てなくなった為、保育士を辞め現在はユーチューブやSNSで発達障害児の子育てについて発信活動をしております。

第2章 発信するということ

(1)虹色の朝陽について

YouTubeチャンネル【虹色の朝陽】では軽度知的障害を伴う自閉スペクトラム症と診断された我が家の息子の成長を動画で発信しています。

また発達障がいの息子を育てる中での子育ての悩みや役に立つ情報、我が家の取り組みなどもご紹介してます。

現在チャンネル登録者は3万人です。

息子が自閉症と診断されたのは3歳の頃ですが、当時の私は全く息子と向き合う事ができませんでした。

息子のために何をしてあげればいいのかもわからなかったですし、息子の事を何も分かっていませんでした。

ある日

「お母さんが息子さんと向き合えてない」

と幼稚園の先生からの言葉が私の耳に入り、これまでにないほどショックを受けたのを今でも忘れません。

 

でも、私はその言葉が今も子育ての言動力となっています。

 

このYouTubeチャンネルやブログは、息子に障害があると分かって毎日不安だった私、そして発達障害と診断されて何をしたらいいのかわからずに悩んでいた数年前の私自身へ届けたいと思って発信しています。

 

あの日毎日泣いて過ごしていた私「大丈夫、ゆっくりだけど ちゃんと朝陽は成長してるよ!」と今の姿を見せてあげたい。

 

こちらのブログやYouTubeに辿りついた方の中にもきっと私と同じような気持ちを抱えている方もいらっしゃると思います。

 

そんな方へ「大丈夫、障害があっても幸せに生きていける道はある」と私からのメッセージが届けばいいなと思っています。

 

でも、幸せって何だろう?
皆さんにとって幸せとは何ですか?
朝陽にとっての幸せは何だと思いますか?

 

 

これから私の発信を通して、視聴者の方や読者の方と一緒に発達障害児の子育てについて学びながら考えていけたらいいなと思って発信しています。

 

息子のユーチューブの動画は、発達に不安を抱えた保護者の方がふとたどり着いた先に少しでも希望の光となるようなものがあったらいいな…そしたらきっと、今よりもっとお子様と向き合い子育てが楽しめるんじゃないかなと思い、息子の成長動画をずっとYouTubeという場所に置いておこうと思いました。

 

10年後も20年後も息子たちが親になった時も

孫が親になった時も

この発信が価値あるものであると私はそう信じて発信しています。

そして10年後20年後私たち親子はどう成長しているでしょうか?私もまだまだ道の途中です。共に悩み迷いながら子育てしていきましょう。

 

私のささやかな夢ですがいつか皆さんとどこかでお会い出来る日を楽しみにしております

〜虹色の朝陽〜

 

(2)YouTubeについて

自閉症の息子の朝陽が生まれてから現在までの様子、そしてこれからの成長を発信していくチャンネルです。

このチャンネルを開設するにあたって沢山悩みました。


子どもを公の場に出すと言うことがどういうことなのか?


発達障害について発信していなければ 我が家なんて誰の目にも触れることがない ただただ平凡で自由な生活だったと思いますし子どもをネット上に出すこともなかったでしょう。



子どもの顔や障害について発信をすると言うこと理解できない人もいるでしょう


でも、私がどうして発信をしているのか??


是非1度考えてほしいと思います。

私自身のこれまでの育児の中で自閉症の息子を育ててきた時間はとてつもない困難や苦悩がありました。


そして、孤独でした。

今では毎日のように相談のメッセージをいただきます。(現在お返事が出来てません)

そして多くのみなさんに共通して言えるのが「相談する人がいません」といった一人で発達障がいの子どもを育てながら悩み不安を抱えているお母さんばかりだというです。


私もその気持ちがとってもわかります。


だからこそ、そんな方にも「大丈夫だよ」「私もそうだったよ」「少しずつ前へ進んでいきましょう」と動画を通して私からメッセージを発信し続けたいです。

(3)私が伝えたいこと

まずは私のユーチューブチャンネルで再生回数が100万回を超えるこちらの動画で生い立ちをご覧ください。

発達障害だと疑わなかった赤ちゃんの頃から疑いを感じた時、診断がおりて絶望的だった時、それでも周りからの支えでたくさんの成長をみせてくれた息子との5年間の日々です。

障害のある子ども達は、それぞれ特性が違い支援の仕方も様々です。

それでも、我が家の成長や取り組みが誰か一人だけでもいい…今これを読んでくださっているあなたに伝えたい。

「大丈夫。すこしずつだけど、ちゃんとその子のスピーとで成長するから。
だからその手を話さず、たくさんたくさん愛して欲しい」

手はかかるけれど時間はかかるけれど。

ちゃんと出来る事が増えていくから、今のこの時期をたくさん愛して一緒に過ごして欲しい。

子育てを楽しんでほしい。

子どもを信じてほしい。

子どもを愛してほしい。

そしてあなた自身の事も大切にしてほしいです。

雨の日も晴れの日も、いつか必ずアサヒがのぼるように・・・。

いつか光が差し込む日が来るから。

虹色のような何色でもない

個性豊かなたくさんの子ども達が

キラキラ輝く未来であって欲しいと

私は願っています。

そして、それぞれの家庭

それぞれの親子が幸せであって欲しい。

毎日泣いてばかりいた泣き虫の私だったけれど

今は毎日笑顔で過ごせるようになりました。

でも、どうしたら幸せになれるか?なんて私は答えを持っていません。皆さんには皆さんの幸せを見つけてほしいです。

我が家のこれまでについてご覧になりたい方は以下の動画を年齢別に一つずつご覧ください。

生まれてから現在に至るまで様々な出来事がありましたが、息子はゆっくりと確実に成長しています。

保育園生活3年間を送った息子は現在、地域の小学校の中にある特別支援学級へ就学し毎日楽しく過ごしながら頑張っています。

これからも朝陽にとっての幸せを共に考え、社会へ送り出せたらと思います。

第3章 息子に表れた自閉症の症状

(1)0歳の頃に感じた違和感

我が家の息子朝陽の場合、赤ちゃんの頃に発達障害を疑う事なんて一度もありませんでした。


よく本などに書かれているような症状がほとんど見られなかったからです。


これまで私が読んできた本には、赤ちゃんの頃自閉症の子に見られる症状としてこのような内容が書かれていました。

・ほとんど泣かない
・あやしても一切笑わない
・視線を合わせない
・あまり手がかからない
・名前を読んでも振り向かない
・抱っこしても笑ったり喜ばない
・ママの後追いをしない

しかし朝陽にはこのような症状は見られませんでした。

とても元気でよく笑う子で成長過程も母子手帳の成長曲線通り。

首の座り3ヶ月・寝返り5ヶ月・一人座り7ヶ月・離乳食も順調・ハイハイ8ヶ月・捕まり立ち9ヶ月・歩き始め11ヶ月と本当に順調だったのです。

朝陽く〜ん!と言えばハ〜イと手を挙げる事もありましたし、手をパチパチすれば真似をするような姿も見せてくれていました。

しかし、発語がありませんでした。

あーうーという言葉も聞いた記憶がありませんし、ママやパパとも言おうとしませんでした。

それでも1歳検診では問題なく終わり、そのうち言葉も出るようになるだろうと、まだこの時はのんびりと穏やかな気持ちで子育てしていました。

朝陽の誕生から1歳を迎えるまでは、まさか我が子が自閉スペクトラム症で軽度知的障害である事など想像もしていませんでした。

成長曲線も異常なし。

寝返り 一人座り はいはい つかまり立ち 歩き始めなど全て順調でした。

朝陽はよく笑う子でしたし、離乳食もちゃんと食べてくれていました。

私とのコミュニケーションではバイバイをしたり名前を呼んではーいと手をあげていました。

長男や次男の頃と何も変わらない成長だったのです。

(2)1歳の頃に感じた違和感

朝陽が歩くようになり1歳を迎えてからは行動範囲も広がっていきました。

家族5人でお出かけする機会も増えたのですが、同時に少しずつ違和感を感じるのです。

3人目の子育てで慣れているはずなのに、こんなに子育てって大変だったけ?と思うほどに手がかかって仕方ないのです。


何が大変だったか?

具体的に言うと、やはり一番は言葉が出ないので意思疎通が取れずに癇癪をおこす事でした。

周囲の目が気になり私自身がストレスを感じたり、他にも落ち着きがな事やスーパーでも勝手にどこかへ行ってしまったり、家から脱走するなんて事もありました。

ストレス発散のために公園へお出かけしよう!と出かけても順番が待てずにトラブルになってしまうという負のループが待ち受けています。

公園から帰るよと伝えても大声で泣き、嫌だと体を仰け反り周囲からの冷たい視線を浴びる・・・。

もう息子を連れてどこにも行きたくない。

そんな事を思うようになり

親子で家に引きこもる生活が始まります。

(3)2歳の頃に感じた違和感

1歳半検診で言葉の遅れを指摘されてから半年経った2歳の誕生日も結局朝陽は言葉が出ないままでした。

我が家の息子が他の子とちょっと違うな・・・と感じたのは2歳くらいの頃でした。

それまでは「少し言葉が遅れている やんちゃな3男坊」といった印象でした。

息子が2歳8ヶ月くらいの頃に幼稚園の未就園児クラスへ入園し、初めて社会の中へ飛び込み、そしてその社会の中で息子は適応しないという現実を私は知ったのです。

(4)3歳言葉の遅れ

2歳になるまでは、やはり1番気になっていたのは「言葉の遅れ」でした。

「アーウー」などの何と言っているか分からないような喃語を話していました。

「パパ・ママ」といった意味のある言葉は・・・・ゼロ。

声を出して話そうとしているからきっとそのうちしゃべるはず!

幼稚園にも行けば色んな刺激があり成長するはず!なんて呑気にすごしていました。

しかし一向に言葉は出ないまま3歳を迎える事となりました・・・。

3歳の誕生日会で周りの子は名前が言えるのに、息子は「はーい」と返事するのがやっとでした。

現在6歳になる息子も沢山の言葉が出るようになりましたので、言葉の成長過程については第4章の言葉の発達でお話ししたいと思います。

(5)多動性 衝動性

自閉症と診断されたお子様にはいろんなタイプの子がいますので我が家の特徴は1つの例として参考になればと思います。

自閉症のお子様の中には、1つの事に集中して遊び周りが見えなくなるような子もいるようです。

しかし、息子はその逆でとても落ち着きがなく、集中して1つの遊びを続ける事ができませんでした。

他の子と一緒に絵本を見る事も出来ませんし椅子に5分も座っていれませんでした。

これは幼稚園での園生活に大きく影響し、後に幼稚園を退園するという出来事にも発展していきました。

その事については第3章でお話しさせて頂きます。

(6)偏食

発達障害の子ども達の中には偏食のあるケースも少なくありません。

我が家の息子朝陽も離乳食は普通に食べていたのに、いつからだったか記憶が曖昧ですが、小さい頃はお米やパンなど炭水化物しか食べてくれず、野菜不足にとてもなやまされる時期がありました。

偏食のある子どもたちはそれぞれに違った傾向や原因があると思います。

味覚や触覚や嗅覚、またこだわり等もあり、なかなか食べてくてなかったりと朝昼晩食事を作る親の苦労なんて分かってくれるわけもなく・・・。

現在5歳になった息子は色んな野菜も食べれるようになりました。

3歳から5歳までの2年間食事にも色々と試行錯誤してきたつもりです。

どの味が苦手でどのような味付けで、どのように調理すればいいかなど・・・。

うまくいかない事のほうが沢山ありますが、その子にあった工夫ひとつで少しずつ偏食も改善していけるのではないかなと2年間の息子の成長を見て私自身も考えが変わってきました。

(7)癇癪やパニック

スーパーや公園などで母親が必死になだめているのに泣きわめく子どもを見かけた事をありませんか?

私も独身の頃は、どうして親は言い聞かせれないのか?と疑問に思って

「しつけされていない子」と認識していました。

しかし、2年前の息子はまさに同じ状態の、しつけの出来ていない子という目で周囲から見られていました。

公園から帰ろうと息子へ伝えても気持ちの切り替えが出来ず、体を仰け反り泣き叫ぶ。

滑り台の順番待ちが出来ずに割り込みトラブルとなれば、言葉で伝えれずに相手を押してしまう。

スーパーでお菓子が買えずに床に寝転んで泣き叫ぶ。

こんな子を目にすると、何だこの親子は?と思いますよね。

私たち親子はこういった視線に耐えながらも生活する期間が何年も続きました。

正直、精神的にも限界がやってきます。

スーパーは一人で行ける時間に行くようになり、公園も誰もいない公園へ行き、誰もいない暗くなった時間に利用していました。

(8)感覚過敏

発達障害の子ども達には感覚が過敏な子、また逆に鈍麻な子もよく見かけます。

息子はどちらかというと過敏な方です。

例えば、音に敏感で私たちが普通に感じる音でも息子にとっては刺激が強すぎて耳を塞いだり「うるさーい!」と叫ぶ事もありました。

他には手が汚れたりなど肌に触れるものを不快と感じる事が沢山ありました。

例えば、みかんの皮を剥く際もみかんの汁が手についてしまうだけで嫌だったり、花壇に花を植える活動も土で手が汚れるのが嫌で活動に参加しなかったり、靴下も嫌がり履きたがりません。

無理やり履かせても気づけば素足で過ごしています。靴下を何度紛失したかも分かりません。

そんな朝陽の事をユーチューブで見てくださっていた株式会社テンシャル の方から連絡が入り、インソールを提供していただきました。

それから我が家は家族みんなでテンシャル のインソールを使用しております。

(9)こだわり

発達障害の子どもの中には、おもちゃを一列に並べて遊んだり、決まった順番で物事を進めないと気が済まない子も沢山見られますが、息子はそのような行動は見られませんでした。
 
あまり見られないこだわりの行動でしたが、療育の教室で青い椅子にこだわる時期や、かけっこや椅子取りゲームなどの勝負事になると勝つ事へのこだわりが強いと感じる事があり、負けるといつまでも泣いていたり、青い椅子が使えないと泣いたりと・・・そういったこだわりだけが見られる時期がありました。

(10)自傷行為

癇癪やパニックの項目でいくつかお話しさせていただきましたが、気持ちが抑えられない時は頭を床にたたきつけるような行動や自らの手で自分の頭を叩くような行為も2歳の頃はとくに多く感じました。
 
床に頭をたたきつける行為は保育園年少クラスまで続き、担任の先生も正直どうすればいいか困っていらっしゃるのをとても感じ、私自身何も悪い事をしていなくとも申し訳ない気持ちでいっぱいで、先生も精神的にも肉体的にも大変だろうなと後ろ髪を引かれながらいつも仕事へ向かっていました。

第4章 幼稚園未就園クラスに入園

(1)幼稚園入園面接

息子が2歳2カ月の頃、翌年度の幼稚園未就園児クラスの募集が始まり、我が家も願書を提出し簡単な親子面接を受けました。

言葉が出ない息子は、もちろん面接では名前を言える事もなく、待ち時間に席を立つ事もありましたが、無事に未就園児クラスに入園する事が決まりました。 

桜が咲いて、四月になったら、幼稚園未就園児クラスに入園です。

言葉の遅れや偏食、オムツ外しなど、正直、心配な事も沢山ありましたが、 きっと幼稚園で色んな事を経験して、言葉が増えたり、お友達と一緒に遊んだり、出来るようになる事も増えるだろうと、息子の成長を楽しみにしていました。

(2)入園した頃の様子

新年度が始まり朝陽だけではなく、我が家にとっては変化の一年になりました。
 
二男は小学校へ入学し、 朝陽は幼稚園の未就園児クラスに入園。
 
そして私は、結婚出産し、初めての職場復帰でパートタイムで働き始めました。
 
初めての母子分離で泣くだろうと予想はしていましたが、案の定朝陽は慣れない幼稚園生活を送り、毎日泣きながら幼稚園へ通っていました。
離席したり教室から脱走したり担任の先生からよく電話が来るようになりました。

(3)幼稚園バスに座って乗れない

入園してすぐに担任の先生から電話がありました。

朝陽くんは、保育中、活動に参加しなかったり、給食の時間に離席をする事があります。

また送迎のバスの中でも離席したりと危険な行動が見られるので家庭での様子を教えて下さい。 との事でした。

この時、朝陽が集団生活になじめていない事を初めて知りました。

給食の時間に離席するだけでなく、 制作活動をしても、朝陽はやる気がなく、活動を中断し 一人でおもちゃで遊んでいたそうです。

 毎日のように、朝陽が給食を食べない事、食事中に離席する事、活動に参加できない事など、家庭でのしつけをお願いしますと連絡帳に書かれ、私は連絡があるたびに気持ちが沈み誰にも相談できず悩ましい日々を送っていました。

(4)教室を脱走する

それまで朝陽は家庭でも部屋でテレビを見ていたかと思えば、私が家事をしている合間に気づけばリビングから姿を消し、近所の公園や近所の駄菓子屋へ一人で勝手に行っているなんて事もあり、いなくなった朝陽を泣きながら探した事もあります。

そんな朝陽は幼稚園生活でも教室を脱走する事がよくありました。

絵本の時間にお友達はみんなで絵本を見ているのに朝陽は教室から脱走し別の教室へ行くなんて事は日常茶飯事なのです。

「やんちゃな子」・・・では済まなくなってきました。

(5)父の日の参観休みました

少しずつ朝陽に対する違和感が強くなりましたが、障害という事に向き合おうとしませんでした。

いつか・・・いつか普通になる・・・いつか出来るようになる。

もうちょっと様子見てから。

もしかしたら出来るようになるかもしれないから。

そう思ってはいても、やはり私たち夫婦の中でも朝陽は他の子とは違うと疑い出してきました。

入園して6月の父の日の参観では、きっと朝陽は暴れる・・きっと周りの保護者から注目される・・・。

そんなの絶対に嫌だ・・・と私たち親子は父の日の参観を休みました。

法事が入っているのでお休みします。

幼稚園の副園長先生は気づいていました。

私たちの嘘にもきっと。

その後面談に来るように幼稚園から連絡が来たのです。

(6)幼稚園からの呼び出し

逃げるように避けるようにすごした幼稚園生活も、いつまでも通用しません。

幼稚園から呼び出しがかかりました。

呼び出しというよりも、「朝陽くんの最近の幼稚園の園生活を見にきませんか?」という提案です。

しかし、それは提案でも何でもなく、「おたくの息子さんは、幼稚園でこんなに大変な子なんですよ。知ってますか?気づいてもらってもいいですか?今後このままうちの幼稚園へ預けるつもりですか_?」という言葉が聞こえてくるほどのプレッシャーを感じる見学でした。

そっか・・・我が家の息子は迷惑って事なんですよね・・・・。

私は納得しているようでしていない、悲しさと悔しさとどこにもぶつけれない感情に押しつぶされそうでした。

「あなたに私の気持ちなんて分かるわけがない!」とそのまま先生に叫びたいくらいでした。

私にはもう心に余裕なんて全くないのです。

家庭も幼稚園も居心地が悪かった。

仕事へ復帰し唯一仕事をしている時間だけが私の時間で家庭からも育児からも離れる自分だけの時間。

私はその仕事という場所に逃げてばかりいました。

全てを仕事の忙しさを理由にしながら、息子の障害という事実から逃げたかったのです。

(7)子育て相談室へ

幼稚園での集団生活が難しく全く言葉も出なかったので、全く生活は変化しないまま。

このままでいいのか?と自問自答し、夫とも相談し、市役所にある療育相談室へ相談に行く事を決めました。

市役所の療育相談室では、言葉の遅れや発達の遅れを相談出来るようになっていました。

相談の予約の電話をすると、 面談の日まで準備するものをお願いされました。

・息子の幼稚園での様子を担任の先生から書いてもらった物
・幼稚園で書いた絵や制作物
・母子手帳

そして子育て相談室での面談当日。

面談は、臨床心理士の方2名と私と息子の4人で行い、朝陽は、臨床心理士の方とブロックなど玩具で遊びながら面談が終わるのを待ちました。

面談では、これまでの成長過程や、言葉の遅れ、かんしゃくを起こす事や自傷行為がある事、偏食がある事、脱走する事などを私の方から相談し、幼稚園から頂いた資料をお渡ししました。

幼稚園からの資料にも同じような朝陽の問題点が記載されてました。

面談を終えて臨床心理士の方からは 言われた言葉は

息子さんには産まれてもった何かしらの発達の問題があるかもしれません

という言葉でした。

自閉症ですとは 臨床心理士の方もハッキリと言われませんでしたが、私はその時、息子が産まれた時から障がいを持っている子だということを確信しました。

その時臨床心理士の方からは

息子さんは名前を読んでも振り向きませんよね。これは発達に問題がある子の特徴の1つです

と言われた事をはっきり覚えてますが

正直、それだけで障がいがあると決めつけるの?と怒りが込み上げてきました。

私は、受け入れる自信がなかったのか、向き合おうという気持ちが無かったのか分かりませんが、どこか説明に納得がいかないまま帰りの車の車内で一人泣きながら息子を連れて帰りました。

その夜夫と2人で話し合いました。 

障がいがあるかもしれないって・・違うよね?

名前を呼んで振り向かなかったのは、たまたまそこに珍しい玩具があったから夢中になって遊んでただけだよね?

いつもは朝陽は名前呼べば振り向くよね?

気づくよね?

障害じゃないよね??

めったに涙を見せない夫も、この日ばかりは目に涙を滲ませていました。

信じたくない認めたくない気持ちがありながらも、 やっぱりそうだったんだという気持ちが私たち夫婦の中に共通してあったからです。

お互いにその言葉を出そうとしなかった。

出したら何かが変わりそうだったからです。

しかし、それでも早くどうにかしてあげなきゃという気持ちで 私も夫も涙が止まらず、泣きながら朝を迎えたのを今でも覚えています。

(8)療育の申し込み

療育相談室で面談してから、早速、紹介された相談支援事業所へ連絡をしました。

療育に通うには、利用計画書を事業所で書いてもらう必要がありました。

それから私達は事業所から紹介された、いくつかの療育施設を見学に行きました。

母子一緒に通う所や、母子分離で通う所など、施設によって様々でした。

私は当時働いていたので、母子分離で通える療育施設への通所を決め、たまたま空きがあったので、9月から通えるように申し込みました。

療育施設の見学に行くと、沢山の親子が療育に通っているという、今まで知らなかった現実に驚きを隠せませんでした。

幼稚園に通っている時は、朝陽だけが違って見えて、私達親子だけが間違ってる気がして、いつも居心地が悪く、独りぼっち 取り残された気分でしたが、療育では、同じように悩んで頑張ってるお母さんが沢山いて、私も頑張らなきゃ、泣いてばかりいないで、朝陽の為に何かしなきゃと少しだけ前向きになれた気がします。

どうやって前向きになれたか?

よくそういった質問を頂きますが正直きっかけなんてなく、何年もかけて朝陽の成長が私を前向きにしてくれたように思います。

簡単に前向きに子育て出来る人なんて

そんなにいるわけがありません。

(9)幼稚園での悲しい出来事

幼稚園生活を送る中、幼稚園のクラスの保護者のグループラインにいくつかの写真や動画が投稿されました。

クラスの保護者が自由参観でクラスの様子を撮影した時の動画でした。

その動画は、朝陽がクラスのみんなと離れた場所に、一人きりで座り、給食をひとりで食べている様子でした。

また違う動画では、眠そうに給食を一人で食べている息子の様子が投稿されていました。

それを見た私は、聞かされてなかった朝陽の様子にショックを受け、言葉もでないまま1日泣きながら過ごしました。

朝陽は、お友達と一緒に給食が食べれなくてどんな気持ちだったかな? 朝陽がいたら、お友達に迷惑だったかな?

 今でも、あの日の出来事を思い出すだけで、いまだに涙が溢れてきます。

私は、こんな朝陽の園生活を望んでいなかったのに。

私はてっきり、朝陽とお友達は一緒に楽しく給食を食べているものだと思っていました。

息子が食事中に離席したり、お友達にちょっかい出したりと保育がスムーズに進まないからなんだろうな・・と自分自身に言い聞かせながらも、他に違ったやり方はなかったのかな?

せめて一言・・家庭へ相談や報告をしてほしかったなと

今でも私は答えが見つかりません。

(10)運動会での様子

朝陽が3歳1カ月くらいの頃、幼稚園の運動会がありました。

初めての運動会です。幼稚園からは毎日のように、今日はどんな練習をしたのか、朝陽がどんな様子で練習に参加したのかを詳しく連絡してくださいました。

集団活動を送るのが難しかった朝陽はなかなか運動会の練習に参加できない日、練習を抜けだして一人だけ遊具で遊び出す日、癇癪をおこして運動場に寝そべる日、運動会の練習へ行きたくないと泣く日、発達に問題のあった朝陽にとって、運動会の練習はとてもストレスを感じる日々だったと思います。

それでも、かけっこの練習で1番になれた日

倒れても泣かなかった日

朝陽の頑張っている嬉しい連絡もあり私も嬉しかったのを覚えています。

先生たちは朝陽が少しでも運動会に参加できるように、立ち位置に朝陽の顔写真を置いて、立ち位置が自分で分かるようにと工夫してくださいました。

そして次はどんな事をするかわかるようにプログラムの流れがわかる順番のカードも準備してくださいました。

たった一人の朝陽の為に、先生方は色々と工夫してくださったのに、私は全て園任せで結局朝陽のために何もしてあげれませんでした。

そして本番当日。

幼稚園からは、朝陽君の集中が切れないように、お母さんは朝陽君が気づかない場所で見るようにとお願いされました。

私は朝陽が気づかない、遠い場所にある物陰に隠れて運動会に参加する朝陽を眺めていました。

朝陽のクラスが出るプログラムは、開会式・かけっこ・ダンス・親子体操の4つです。

朝陽が療育を始める前の幼稚園誕生日会の入場では、朝陽は列を乱してどんどん前へ歩いて行き、順番に並んで前に進む事すら出来ませんでした。
そんな朝陽が運動会の行進では、列の一番後ろから頑張ってみんなと並んで歩く姿が見られたのです。

そんな朝陽の姿を見て

涙が出るほど嬉しかったです。

補助の先生も朝陽につきっきりでサポートしてくださり感謝の思いでいっぱいです。

かけっこは、 朝陽自身も大好きだったので、練習の時から頑張って練習していたようです。

連絡帳や、園から頂いた写真を見ても朝陽の楽しくかけっこをする様子が分かり、朝陽にも好きな事があると分かってとっても嬉しかったです。

演目のダンスでは、朝陽の普段の様子から、運動会でみんなと同じようにダンスをする事が本当にできるのだろうか?と私は全く想像できませんでした。

本番当日、案の定、朝陽はダンスを1度も踊りませんでした。

それどころか、朝陽は肩をゆすりながら最初から最後までずっと泣いていました。

補助の先生がずっと横にいてサポートしてくださいましたが、その場にたっているのがやっとで他の子は楽しく踊っているのに、踊れない朝陽を遠くから見ているだけで、私も目頭が暑くなり、胸がしめつけられて何もしてやれない自分に涙が溢れ出てきました。

プログラム午前の部の最後に親子体操がありました。

親子体操どころではなかった泣いている私に気遣い親子体操は夫が参加してくれました。

その時間にはダンスの時に泣いていた朝陽も落ち着きを取り戻し、大好きなお父さんと親子体操を楽しんでいました。

みんなと一緒にダンスを踊れなかった朝陽も、大好きなおとうさんと一緒の親子体操はとっても嬉しそうでした。

みんなと同じようにはできない事もたくさんあったけど、途中で泣いてしまう事もあったけれど、アサヒが一生懸命頑張った運動会でした。

朝陽の前では泣かないように決めていましたが、やはり嬉しそうにメダルを持ち、こちらに向かって微笑む朝陽の姿を見て、やっぱり私は泣いてしまい涙が止まりませんでした。

(11)医師からの診断がおりる

療育へ通いだして4ヶ月がたった頃、診断を受けようと思い、いくつかの診療所に連絡をしますが

どこに予約の電話をしても、半年待ちですとの回答ばかりでした。

どこに連絡しても新規は断られました。

診察を受けれるまで日々悶々と悩みつづけなければいけないのか?と私自身も疲れてしまいました。

そんな時、看護師の方から空いてるかもしれない診療所があると教えてくださいました。

私は、その看護師の方の対応ががうれしくて涙がとまらず何度もお礼を伝えた事を今でも忘れません。

検査をできる事が嬉しかった訳ではありません。

障がいを持つ子どもを育てる中で、優しく手を差し伸べてくれる人がいるという事を 初めて感じた瞬間だったからです。

教えていただいた診療所ヘ連絡をするとすぐに診察を受ける事ができました。

私が伝えた息子の特徴、幼稚園から書いていただいた息子の特徴、専門医の方が診察した結果を合わせ、 診断名が出ました。

 「自閉スペクトラム症」と書かれた用紙と資料を渡され、 診察はあっけなく終わってしまいました。

 


予測はしていたので、当時の私の気持ちは、少し胸のつかえが取れて、やっぱりそうか・・・どうりで育てにくかったんだ・・・と、なんだか少しだけ理由が分かって気持ちが楽になったのを覚えています。

もちろん、現実にショックを隠せない自分もいました。

(12)療育手帳を取得 田中ビネーのIQ結果

息子は当時3歳の頃、療育手帳を取得するために、児童相談所(児相)で知能検査を受けました。

田中ビネー式知能検査でIQが73でした。 年齢でいうと1年遅れの2歳という結果でした。

知的障がいの区分は地域によって様々ですが、IQをおおむね75以下や70以下を知的障がいとし、 息子の住む地域ではおおむね75以下が知的障がいとされ、IQが73だった息子は知的障がい者と認められました。

軽度知的障がいのB2という区分にあたります。

療育手帳を取得するというと驚かれる方も多いかもしれません。

特に私の母親世代は療育手帳=障害者という認識が強く、その障害という言葉に抵抗を感じ療育手帳取得を反対する人も多いと聞きます。

私は正直そんな考えはあまり好きではありません。

ちなみに私の母も障害者手帳を持っています。

くも膜下出血で半身不随になった事から車の運転もできなくなるほどの障害をもつようになりました。

私は、障害者手帳も療育手帳も偏見で見るようなものではないと声を大にして言いたいです。

むしろ、生きていく上で少しでも生きやすくするためのものであり、その偏見という気持ち一つでその子が生きづらくなるのであれば取得したほうがいいと私は考えます。

療育手帳のメリットデメリットについてユーチューブで動画にしましたのでよければご覧ください。

デメリットなんて一度も感じた事がありません。

また療育手帳は数年おきに更新手続きが必要となります。

3歳の頃に取得した息子は5歳になって療育手帳の再判定を受けました。

その時の様子もYouTubeでご覧ください。

(13)特別児童扶養手当を申請

皆さんは特別児童扶養手当を申請していますか?

知らずに損をしている人も多いと聞きます。

我が家は児童相談所の方に教えていただき申請する事が出来ました。

特別児童扶養手当とは、精神障害や知的障害、身体障害など、障害のある子どもに対して、その保護者や養育者へ給付される扶養手当です。

これは、児童の福祉増進を図る事を目的として、手当を支給する制度です

対象となるのは20歳未満の障害児です。

支給額は障害認定基準に応じて支払われる金額が違ったり、また所得制限もあります。

2020年現在設定されている支給額は、1級月額52200円  2級月額34770円です。

我が家の軽度知的障害B2の朝陽は2級に該当します。

受給時期は4月8月11月にまとめて口座に振り込まれます。

申し込み方法は、必要な書類などを準備し市町村の窓口にて申し込みします。

申し込み用紙も役所で受け取ります。 

障害程度によっては医師の診断書が必要になり診断書作成費用がかかってきます。

我が家の息子は軽度知的障害B2の為、医師の診断書が必要でした。

特児は、支給期間が切れる時期に、改めて障害認定診断書の提出が必要となります。

期限は個別に設定され、事前に用紙が送付されます。

我が家も最初の支給から2年が経ち用紙が送られてきました。

障害認定診断書が期限を経過したあとで提出した場合、遅れた期間は手当が支給されず、提出された翌月からの支給となるので注意が必要です。

初めて申請する方は はまずは、役所へ行き、受給資格があるかどうかを確認し、申請手続きについてお問い合わせ下さい。

申請について役所へ問い合わせると、【特別児童扶養手当ては認定されなかったり、認定までに時間がかかります】と伝えられました。

我が家は三月に申請書を提出し、7月に特別児童扶養手当の証書が届きました。

この場合、申請書を提出した翌月4月からの手当が支給されます。

(14)発表会での様子

朝陽が自閉症と診断されたのは三歳4か月の頃です。

それから一か月が経ち、幼稚園では発表会が行われました。

朝陽のクラス2歳児クラスでは、簡単な表現を交えた合奏とお遊戯を発表します。

幼稚園行事になると、周りの子と同じようにできない朝陽はステージで目立ってしまうので、発表会もドキドキしながら見守りました。

最初の登場シーンから、朝陽が出てこないというハプニングもありましたが、しばらくしてからステージへ登場し、何とか発表会に出ることが出来ました。

四か月前の、何も踊らなかった幼稚園の運動会の時に比べると、朝陽なりに、決められた場所にしっかりと立って、頑張って表現していました。

クラスのみんなとは、同じタイミングで同じように踊れませんでしたし、お友達みたいに、同じように楽器を扱う事は出来ませんでした。

みんなと同じように返事も出来ませんでした。でもそれが現実です。

朝陽が動き回らず、ただステージにいるだけでも大きな成長で、朝陽がみんなと一緒に踊ろうとする気持ちが見えただけでも大きな成長なのに、そんな朝陽の成長を私はしっかり認めてあげれていただろうか?と反省する事も沢山あります。

みんなと一緒じゃなくても。

完璧じゃなくても。

朝陽の発表会までの頑張りを、もっともっと褒めてあげたらよかった。

頑張ったねともっと抱きしめて朝陽の心を満たしてあげればよかった。

朝陽。一年間という短い幼稚園生活だったけど、一年間で、たくさんの成長を見せてくれて、ありがとう。

お母さん、朝陽の頑張りに気づいてあげれなくてごめんなさい。

そんな気持ちです。

当時の発表会の様子はユーチューブでもご覧いただけますのでご覧ください。

子育ては長いようであっという間です。

どうか目の前にいるお子さんの成長を沢山褒めて認めてあげてほしいと

私の子育て失敗談の経験から、この記事を読んでくださっている方へお伝えしたいです。

(15)幼稚園を退園

発表会の前に 幼稚園からは 年少クラスへの進級が難しいと言われていました。

それから、私達夫婦は何度も話し合いお世話になった幼稚園を退園する事を決め担任の先生へ伝えました。

翌年度から、朝陽はどこで過ごすのが1番いいのか分からなくなった私に色んな人からアドバイスを頂きました。

少人数の保育園で過ごすのが今の朝陽にとって1番良い環境では無いか?とアドバイスを頂き

色んな方の協力のおかげで、朝陽はひとクラス10人程度の小さな保育所へ入所する事が決まりました。

当時、行き場の無くなった朝陽に沢山の協力を頂きました。

沢山の協力をいただいた事を感謝しています。

第5章 言葉の発達 いつ言葉が出た?

Instagramで質問を募集したところ、言葉の発達に関する質問を一番多く頂きました。

言葉に関する不安というのは、多くの親御さんが悩まれていることなんだなと改めて感じましたし、質問された皆さんの悩みや不安も共感する部分が沢山ありました。

私自身も朝陽が全く言葉を話さなかったので、いつになったら会話ができる様になるのかな?と悩んだり、何をしても効果がなく、育児が嫌になったり諦めたくなる日があったなと当時のことを思い出しました。

そんな言葉が全くでなかった朝陽も5歳になった現在色んな言葉が出るようになりました。

もし今、言葉のことで悩んだり不安になっている方がいらっしゃれば、現在5歳になった朝陽自身にもそういった時期があったということや、療育や家庭で朝陽がこれまで取り組んできた事など、これからお話する内容を参考にしていただければと思います。

言葉が出るまで 時間はかかりましたが色んな関わり方を工夫していくことで、朝陽も少しずつ話せる様になったということを知ってもらえたらいいなと思いますし、焦らずまた明日から頑張ろうと子育ての活力になればいいなと思います。

朝陽が言葉が出てきたのがいつだったか?ということなんですがこのようにまとめてみました。

1歳から1歳半 
発語ゼロ 
2歳3ヶ月の頃 
全く話せない 返事や名前も言えない
2歳8ヶ月の頃 
幼稚園入園 他の子は2語分が言えるが挨拶も出来ない
3歳の誕生日 
療育と言語訓練を受ける3歳の誕生日に名前が言えない 返事は出来る
3歳2ヶ月 
単語が出始める
3歳4ヶ月 
2語文の練習
3歳5ヶ月 
初めて会話ができた
3歳10ヶ月
 名前が言える
4歳半から5歳にかけて
3語文が言える

(1)1歳〜1歳半の頃

1歳〜1歳半くらいの頃は全く言葉が出ませんでいた。発語ゼロです。

パパママも言いませんし動物の名前やキャラクターの名前も言えませんでした。

1歳半検診は小児科での個別受診だったので他の子との成長を比べることが出来ませんでした。

三人目の子育てということもあり、いつも通っている小児科でしたので、先生に言葉の遅れを相談し、もう少し様子見ましょうかということで終わりました。

2歳になっても言葉が出なかったので、幼稚園面接が2歳3ヶ月の頃あったのですが幼稚園面接では名前や返事をすることもできませんでした。

(2)2歳8ヶ月の頃

言葉が出ないまま2歳8ヶ月の頃に幼稚園未就園児クラスへ入園しました。

その時も発語なしだったので、先生への挨拶もできませんでしたし、返事もできなければ自分の名前を言うことも出来ませんでした。

これは言葉とは関係ありませんが、幼稚園バスに乗っている時も、座ってまてなかったので補助の先生がバスの中で離席しないようにつきっきりでした。

アンパンマンが好きだったのでアンパンマンの人形と一緒にバスへ乗っていました。

言葉が出なかったのでオチャが飲みたい時は私の手をとり手をオチャに近づけるクレーン現象がありました。

そして2歳10ヶ月くらいの頃、幼稚園の先生と話して、子育て相談へ行き、発達の指摘を受けました。

(3)3歳の誕生日

3歳誕生日を迎えた頃、幼稚園の誕生日会で、ステージ上でほかの子は自分の名前が言えるのですが、朝陽は名前が言えず、ただ一人だけ、先生から名前をよばれてハイと返事するのがやっとでした。

正直、あさひだけ名前を言えなかったとこにショックを受けましたし、その場で涙が出てしまったことを今でも覚えています。

ただ少しずつコミュニケーションをとろうとする様子が見られるようにもなりました。

例えば、何か話そうとしている喃語を発してきたりですとか、誕生日の歌を歌ってあげると喜んで歌う真似をするような姿が見られました。

3歳の誕生日を迎えてすぐに、このままではダメだと思い、療育へ通うように。

当時は週に1度の療育と月に1度の言語聴覚士さんによる言語訓練を行います。

当時は仕事が忙しいことを理由に、週に1度しか連れていけませんでしたが、今振り返ると、週に2回通っていればよかったなと思っています。

 

(4)3歳2ヶ月の頃

療育へ行きだしてから数ヶ月後の3歳2ヶ月くらい頃の記録では幼稚園で「アンパン」と大好きなアンパンマンの名前を言ったり、毎日幼稚園の朝の会などで発表をしていて、先生から好きな食べ物はなんですか?の問いに「バナナ」や「メロン」だったり「好きな動物はなんですか?」に「さる」と答えれるようになっていきました。

これは言語訓練で取り組んでいた「絵カード」や「やりとり遊び」「パズル」など、が活かされて言葉がでてきたのではないかな?とも思っています。

言語訓練の絵カードでは、当時どうぶつや果物の絵カードを使って楽しく言葉を覚えていました。

そして、その言葉をどうやって使っていくかを、ままごと遊びを先生と行いながら、覚えた言葉を楽しく使うという事につながっていたんじゃないかなと思っています。

また他にも毎日の生活の中で使う挨拶「おはよう」なども言えるようになったのが3歳3ヶ月くらいの頃です。

(5)3歳4ヶ月の頃

ある程度言葉が少しずつ出た3歳4ヶ月くらいから言語訓練では2誤文の練習をはじめていました。

療育へ行きだした当時の様子はユーチューブでもご紹介していますのでご覧ください。

(6)3歳5ヶ月の頃

朝日は3歳5ヶ月の頃の記録に私が「今日は幼稚園でクッキングしたの?」と聞くと少し考えて「した」と返してくれたと記録しています。

このころの記録には他にも朝陽のほうから「ねえねえ」とよく話しかけてくるが、その後はなんと言っているかわからない。

と記録にあり、それでも朝陽と意思疎通が少しずつ取れるようになり嬉しかったのを覚えています。

(7)3歳10ヶ月の頃

幼稚園を退園して保育園に3歳8ヶ月くらいに入園したのですが、朝陽は先生に言葉で気持ちを伝えれなかったので、連絡帳に、まいにち食べた食事や睡眠時間など、細かに連絡を取る必要がありました。

単語はいろんな言葉が言えるようにはなってきて、この頃ようやく「朝陽」と名前が言えるように。

(8)4歳〜5歳の頃

保育園や療育や言語訓練で様々な経験をしていく中で沢山の言葉を身につけ、年中の4歳半〜5歳にかけてはお友達の名前を言えるように。

言葉が急にたくさん出るようになり、保育園の先生や私たちも驚くように沢山の成長をみせてくれました。

(9)言語訓練や家庭で取り入れた事

3歳になりたての頃、言語訓練でしていた事をお話ししたいと思います。

「絵カード」や「やりとり遊び」「パズル」など、が活かされて言葉がでてきたのではないかな?とも思っています。

言語訓練の絵かーどでは、当時どうぶつや果物の絵カードを使って楽しく言葉を覚えていました。

そして、その言葉をどうやって使っていくかを、ままごと遊びを先生と行いながら、覚えた言葉を楽しく使うという事につながっていたのではないかなと思っています。

また、そのころ家庭でどんなことをしていたかというと、先生に「家庭で出来ることないですか?」と相談をしたところ「絵本を一日1回読んであげてください」といわれたので、それから毎日夜寝る前に朝日へ読んであげるようにしていました。

最初は座って見れませんでしたし、1ページみてくれたらいいほうで、全く興味を示してくれませんでしたが、少しずつ絵本をみてくれるようになりました。

幼稚園でも座って先生の話を聞いたり、先生が読んでくれる絵本を見たりする時間が毎日あるので、そのたびその場から脱走していた朝陽ですが、家庭でも絵本を読んであげることで言葉を覚えたり、座って話が聞けたりと、絵本を読んであげることはとても成長につながっていいなと今でも思います。

最初は絵本を読んだからと言って効果を感じるわけでもないですし、すぐに言葉が出るわけでもありませんでしたが、そういった日々の積み重ねがいつか言葉の成長につながるのではないかなと思います。

言語訓練で言語聴覚士さんからおすすめされた絵本がミッケという絵本です。

このミッケシリーズは見る力を鍛えることにも繋がるそうです。

確かに朝陽も現在集中して見ていますし、いろんな絵がのっているのでものの名前を会話のやり取りの中で楽しく沢山身につけることが出来そうです。

ミッケシリーズは沢山シリーズがありますが、先生がおすすめされた本はこちらでした。

迷われた方はこちらを購入されてみてください。

第6章 診断を受けて私がした事

子どもの発達に悩んだ時、正直私は誰にも相談できませんでした。自分の親にすら出来ませんでした。きっと一人で悩んでいる人はたくさんいるのではないかなと思います。

(1)受給者証を取得

我が家の場合は役所から案内された相談支援事業所へ連絡をし、療育を受けるにあたっての「サービス利用計画書」というものを作成していただきました。

相談支援専門員の方が自宅を訪問し面談を行い療育を月に何回利用するかや、支援目標などの計画を立ててくださいました。

面談時間は1時間くらいだったでしょうか??息子の毎日の生活の様子だったり、悩んでいる事、これからの課題など話をしてひとまず週に一回療育を利用する事を決めました。

相談支援専門員の方が作成してくださった計画案というものと、申請書に必要事項を記入して市に提出しました。

それから約1ヶ月後くらいだったと思いますが、郵送で「受給者証」が郵送されてきました。

その受給者証を療育施設へ提出したら、息子は療育へ通う事ができるようになりました。

受給者証の取得についてはユーチューブにも動画を出してますのでよければご覧ください。

(2)療育の見学

役所の子育て相談室へ行った時に、臨床心理士の方からいくつかの療育施設や施設の特徴など色々教えて頂きました。

私も知っている評判の良い施設をはじめいろんな施設がありました。

その中から気になる施設を私と夫と二人で一緒に見学へ。

そして現在通っている療育施設だけたまたま空きがあったので、その日のうちに申し込みをしました。

療育を選んだポイントは次の第6章療育施設を選んだポイントをご覧ください。

(3)申請書や計画案の作成と提出

朝陽が3歳を迎えてすぐに療育に通い始めました。幼稚園にも通っていたので、毎日幼稚園へ通いながら週に1回だけが療育の日です。

朝9時くらいにに療育施設へ送迎し、一時半にお迎えに行きます。

通い始めた頃、最初の計画書の支援目標はこのように立てていただきました。

1:楽しく言葉を出せるように支援します
2:朝陽くんの特性を見極めルールや時間を守れるように支援します
3:集団活動への参加を促しながら、みんなと一緒に集中出来る時間を作っていきます
4:家族と協力しながら、その時々に応じた支援を行ます

療育に行き始めた頃は環境の変化に戸惑い、朝陽は、行きたくないと泣いてしぶる日が沢山ありました。

3歳から行き始めて4歳くらいまでの1年は、療育へ行く事を嫌がる日もよくあったように思います。

9月の療育開始から半年後、朝陽が3歳半くらいの時に相談支援専門員の方と私と療育の先生達によるモニタリングがありました。

モニタリングでは、目標の達成度や新たな課題について話し合いました。

当時のモニタリングでは、まだまだカンシャクを起こし自傷行為がある事、集団生活が苦手で、相手の気持ちを考えて行動出来ないことが挙げられました。

今後、様々な活動の中で、活動中に離席せずに活動に取り組み、食事、排泄、着脱など基本的生活習慣が身につくように、支援していきます との事でした。

第7章 療育施設を選んだポイント

よくインスタグラムのメッセージでいただく質問ですが、みなさんどこの療育に行けばいいのか??週に何回利用したらいいのか分からずに悩まれている方が多いなと感じます。

我が家の決めてだったポイントは以下の通りです。

●療育施設の雰囲気がよかった事
●先生が親身になって相談を聞いてくれた事
●自宅から近かったこと
●送迎があったこと
●言語聴覚士さんによる個別訓練があったこと
●母子分離で通える事

朝陽が通ってきた療育先や知能検査を受けた場所などは音声ラジオVoicy5月6月の放送でお話ししております。詳しく知りたい方はボイシーのアプリをダウンロードして聞いてみてください。ボイシーはこちら

第8章 保育園へ転園 年少クラスの様子

(1)保育園へ転園

幼稚園を退園し、春は寂しいお別れも沢山ありましたが、新しい出会いもありこの年は私にとっても朝陽にとっても新しい生活を迎える特別な出会いも沢山ありました。

夫が長期出張で不在だった為、入所式は私一人で参加しました。

入所式では、じっと座れない朝陽は、途中から椅子に座っているのが嫌になり、体をのけぞり、ぐずりだしましたが、何とか無事に入所式を終える事が出来ました。

朝陽の年少クラスには担任の先生が1人と、補助の先生が一人いました。

補助の先生は全体の保育をサポートしながら朝陽につきっきりで朝陽の補助をして下さいました。

保育所へ入所して、保育所側から、療育の回数を週に一回から2回にしないかという提案を頂き、4歳になる目前の6月から朝陽は保育園に通いながら、週に2回療育に通い始めました。

保育所へ入所した頃の朝陽はまだ二語分が話せず、療育の言語訓練でも二語文を少しずつ訓練していました。

お友達とのコミュニケーションもまだまだ上手くとれずに、トラブルで手がでてしまったり、カンシャクをおこす事が、まだまだありました。

お箸なども使えず、クラスでは一人だけスプーンとフォークを使っていました。

苦手な野菜も沢山あり、よく給食を残していた気がします。

気持ちの切り替えに関しては、興味の偏りがあり、興味のある活動には参加するものの、興味の無い活動に関しては、参加しないと言い一人だけ別の活動をしていました。

また、オムツ外しに関しては、トイレトレーニングを2歳の頃から始めていましたが、保育所入所の頃はまだオムツが外れていなかったので、継続してトイレトレーニングを続けました。

最終的に朝陽のオムツが外れたのは4歳の誕生日を迎えたくらいの時期です。

(2)親子遠足での思い出

保育所へ入所して初めての親子遠足がありました。

朝陽は座ってバスに乗っていられるのかな?公園で1人どこかへ行ってしまわないかな?お弁当もちゃんと食べれないだろうな。

カンシャク起こして他の保護者の人から注目されたら嫌だな。

朝陽が保育所に迷惑をかけたり、保護者からの朝陽に対する視線が気になるかもしれないと思い、親子遠足は欠席しますと担任の先生へ伝えました。

それでも、担任の先生が、朝陽と私が少しでも遠足を楽しめるように、バスで座れるように、朝陽が興味のあるものを準備して下さったり、遠足中も私達親子の事を沢山気にかけて下さいました。

友人からも、せっかくだから行っておいでよ。と背中を押してもらい私は朝陽と初めての親子遠足へ行く事が出来ました。

お友達と一緒には行動出来なかったけれど、朝陽を見失わないように追いかけて、保護者の方とゆっくりお話しも出来なかったけれど。

朝陽とゆっくり2人で公園で遊んだのは本当に久しぶりで、朝陽がニコニコ笑ってたのしんでいる姿を見て、やっぱり参加して良かったと心から思いました。

これも、保育所の先生方が、私達親子の事を色々な面でサポートしてくださったからだと感謝しています。

保育所からの連絡帳には、朝陽くんとお母さんが一緒に笑って過ごす姿を見れて保育士一同とても嬉しかったですと書かれていました。

朝陽と会話が出来ずに理解できない事も沢山あったり、みんなが普通にできる事を普通に出来ずに朝陽とどう向き合えばいいのか投げ出したくなる日も沢山ありましたが、朝陽は、私と過ごす時間をただただ無邪気に笑って、言葉は出なくても

お母さん、楽しいね。

お母さん、一緒に遊んでくれてありがとう。

お母さん、また来ようねと

伝えたかったのではないかなと思います。

(3)発表会での様子

保育園に入所して、少しずつ言葉が増え、運動会でアサヒは様々な成長をみせてくれました。

そして、運動会から2ヶ月後に生活発表会がありました。

発表会では、改めて自閉症の特徴の一つでもある興味の偏りが朝陽にもある事を感じました。

1年前の未就園児クラスの発表会の時に比べると、お友達と一緒にステージで体を使い楽しそうに表現していました。

1年前よりもステージを楽しむ様子が見られ嬉しかったです。

生活発表会では、全体の合唱・年少クラスの表現・合唱合奏と3つのプログラムに参加しました。

朝陽は動きのある活動は興味関心が強く、積極的に参加をするようで練習でも上手にできてましたと先生からもお話しがありました。

一方で、朝陽は、合唱や合奏に興味関心が薄く、音楽を楽しむ事が苦手です。

1年前の発表会でも、合奏の時、ステージ上で お友達を楽器で叩く姿が見られました。

そして1年経った年少クラスの発表会でも、朝陽はカスタネットをみんなと同じように叩く事はできませんでした。

発表会の途中で集中力が切れてしまったのか、苦手なカスタネットをしたくなかったのか、朝陽はステージのそばで見守る補助の先生のもとへ行ってしまいステージから姿を消してしまいました。

朝陽の気持ちをわかってあげたくても、音に対しての不快感なのか、出来ない事に対しての苛立ちなのか、私は、朝陽を理解してあげれない事がまだまだ沢山ありました。

アサヒの育児は全てが順風満帆ではなく、成長もすれば伸び悩む日も沢山ありました。

 

(4)療育 個別訓練での様子

幼稚園未就園児クラスに通っていた頃、朝陽が3歳〜3歳7ヶ月くらいまでの言語訓練の内容です。

動物絵カード
パズル
ままごとのやりとり遊び
かたはめ
色分け
お絵かき
大小の違い
物の用途の理解

以上の内容を先生とのやりとりの中で訓練しました。


訓練の内容や使っていた道具など詳しくはこちらに記載してますのでご覧ください↓

言語訓練は20分から30分で行われていました。

絵カードは、先生が指示したカードをケースの中に入れる訓練などを行なっていましたが、朝陽は絵カードの時間を退屈と感じていたようで、訓練中、先生の注意をひきたくて、わざとものをテーブルの下へ落としたりカードを投げて遊ぶ事もありました。

そんな時は、過剰に反応せずに、いま何をするべきかを本人に伝え、本人の手を持って一緒に片付けをしていました。

手を取り一緒にすることで、朝陽自身も作業に取り組みやすくなりました。

また、先生が見本を見せてあげたり、出来た時には沢山褒めてあげると、そういった注意をひく行動は少しずつ減っていきました。

朝陽は小さい頃からしまじろうが大好きで訓練にもしまじろうの人形を取り入れてくださり、大好きなしまじろうとのやり取りを楽しみながら言葉を覚えていきました。

色分けにかんしては、当時3歳の朝陽は、色の名前はいくつか言えましたが、なかなか色と名前が一致しませんでした。

しばらく訓練するうちに、朝陽は3色だけ完璧に分かるようになっていきました。

大小の違いはジェスチャーや声の大きさを変えて伝えると、朝陽は表情を変えて少しずつ考えれるようになりました。

バナナをしまじろうの人形にたべさせたりと、やりとり遊びの中で次第に沢山の言葉を身につけていきました。

年少にあがってからの個別訓練では、昔お世話になった先生が担当になり、全くしゃべらなかった朝陽の言葉の成長に大変驚かれてました。

言葉は年少クラスに上がると二語分が少しずつでるようになり、みず飲む ご飯食べる などが言えるようになっていきました。

 


当時3歳のアサヒの言葉のおくれはテストをして1年遅れの2歳と言われていました。

アサヒが保育園に行き出して、少しずつ会話のやりとりが出来るようになってきて、何食べた?誰がした?など、朝陽が答えれる単語の会話を出来るようになりました。

これまで私の問い掛けに何も答えなかった朝陽が時々言葉を返してくれるようになった時は、私もすごく嬉しかったです。

保育園年少クラスに通っていた頃、朝陽が3歳7ヶ月くらい〜4歳くらいまでの言語訓練では他にも以下の内容を取り組んでました。

パズル4ピース
数字の1から3
線引き
マル 三角 シカクの形遊び
おえかき
動きの言葉
絵本
ままごとでのやりとり遊び
どうぶつ たべもの 乗り物などのカテゴリー分け

以上の内容で個別の訓練をしていました。

朝陽は気分によってふざけたりしていましたが、先生が飽きないように工夫してくださり、20分間離席なく頑張って取り組んでいました。

年少の頃は、気持ちの切り替えにはまだ時間がかかっており、先生はなるべく短い言葉で指示をして、繰り返し言葉を伝える事で朝陽も次の行動に切り替える事が出来ました。

朝陽はどちらかというと短調な課題よりも、動きのある課題が好きでした。

例えば操作をしたり、なぞったり、競ったりを取り入れた訓練です。

そういった朝陽の特性を理解しながら様々な訓練を言語訓練で取り入れてくださいました。

年少の頃の理解力に関しては

頭にかぶるもの何?と絵を見せると、帽子の絵カードを選べるのですが

言葉だけで、頭にかぶるもの何?と聞くと

あたま!と言ってあたまを指さし、伝え方の言葉がまだ分からない様子でした。

なので、言葉を聞いて理解する・言葉を伝える訓練を行なっていきました。

そんな中、担当のSTの先生が産休に入られ、4歳の誕生日をもって、しばらく朝陽の個別訓練の時間が無くなってしまいました。

それから言語訓練が再開されたのは、8か月後の朝陽が年中クラスに進級してからです。

個別がない8か月の期間は、焦りもあり、伸び悩む時期でしたが、療育の集団生活の中でも先生方が色々と工夫してくださいました。

 

(5)運動会での様子

4歳を迎えてすぐに保育所での運動会がありました。

3歳の頃は、運動会の途中に泣いたり、踊りが全く踊れなかった朝陽も、年少クラスになると、補助の先生がそばにつきっきりではありますが、入場行進、かけっこ、表現、障害走や親子競技も参加する事ができていました。

途中で私たち家族が気になり、集中力が切れて床にねそべったり、先生に甘えたり、赤ちゃんクラスが待機する場所でオモチャで遊ぶ事もあり、まだまだ皆と同じように座って待つ事が出来ず、朝陽がプログラムを全てこなす事は出来ませんでした。

それでも、1年前の運動会に比べると楽しみながら運動会に参加する朝陽を見れたことが何よりも嬉しく一番の成長だと感じました。

1年前は運動会での朝陽の様子を物陰に隠れて見ていた私も、この時の運動会は同じ保護者席で朝陽を見守る事ができました。

朝陽が運動会の場で変に目立ってしまうことも、私自身が朝陽を受け入れることができたことで、運動会というイベントを1年前よりもずっと楽しめるようになっていました。

朝陽の成長は、私自身が、朝陽の障害をうけとめて向き合っていくことなのだと気付かされる運動会となりました。

第9章 保育園年中クラスでの様子

(1)運動会での様子

そして5歳になった朝陽の保育園年中クラスの運動会は、補助の先生がつきっきりではなくても、朝陽はしっかりとすべてのプログラムに参加することができました。

この年の成長は朝陽が最初から最後まで、集中が切れそうになりながらも、プログラムすべてに参加できたことが何よりも1番の成長でした。

真剣な朝陽の表情も、ニコニコと競技を楽しむ姿も、朝陽の姿は私たち家族に沢山の元気をくれました。

運動会が終わり、朝陽の成長が嬉しくて、本当に本当に嬉しくて、思わず嬉し涙が流れたこと、私はずっとこの日のことを忘れないでしょう。

幼稚園や保育園での集団生活で行われる運動会や発表会は、子ども達の成長を一番感じれる瞬間です。

こうやって1年前2年前を振り返ると朝陽はゆっくりでも成長している事に幸せを感じます。

来園の運動会は、どんな成長が待っているのかなと朝陽の明るい未来を楽しみに、私も 日々 頑張っていこうと思います。

運動会の様子を3歳4歳5歳とこちらの動画で成長をご覧いただけますのでよければご覧ください。

(2)発表会での様子

1年前の年少クラスでの生活発表会では、合奏合唱の時にみんなと一緒に歌えなかったり、カスタネットを叩きたくないとステージに寝転がるような姿がみられ、ステージ上で目立ってた朝陽ですが年中クラスの発表会では沢山の成長を見せてくれました。

年中クラスの発表会では鍵盤ハーモニカに挑戦しました。

発表会当日まで時間がある時は、朝陽と一緒に保育園に行く前に1回だけ鍵盤の練習をし登園していました。

最初は5本指を使うのが難しそうでしたが、毎日すこしずつ練習を積み重ねる事で5本の指を使って演奏できるようになりました。

鍵盤ハーモニカと音階が書かれた楽譜には同じ色のシールを貼って、朝陽なりにシールを見て指の動きを覚えて行きました。

音を切るタンギングはできませんが発表会1週間前には一人で5本指を使って演奏できるまでに成長しました。

他の子はさらにレベルを上げて、立って演奏をする事になりましたが、朝陽は座って吹きたいとのことだったので、先生とも話し合い座って演奏することにしました。

本番当日も頑張って演奏する姿が見られ、とても感動しました。

新しいことにチャレンジする機会をくれた先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。

みんなと同じように立って演奏する事はできませんでしたが、先生が頑張った朝陽に、ウィンドチャイムを任せてくださいました。

スポットライトもミラーボールもない小さなステージですが、朝陽にはしっかりとスポットライトがあてられているとても素敵な発表会でした。

演奏の最後にとっても嬉しそうに堂々と楽器を扱う姿はキラキラと輝き、とても眩しかったです。

発表会の様子は動画でもご紹介しておりますので良ければご覧ください。

(3)嬉しかった親子遠足

年中クラスの春の親子遠足で科学館へ行きました。

自由に行動する朝陽はお友達と一緒に館内を見学出来ず、私と朝陽2人で科学館の中ではお友達家族とは別行動でした。

しかし、秋の親子遠足では、初めて朝陽はお友達と一緒に、アスレチックの遊具をみんなと一緒にまわって楽しむ事ができました。

他のお友達親子と一緒にお弁当を食べたり、クラスのお母さん達ともゆっくりお話しが出来たり、普通のことだけど、そんな普通の事が出来るようになって、私もウルっとくるほどに普通の事が嬉しかったのです。

誰もいない公園で遊んでいた数年前。普通の親子が羨ましかったあの日。

今までずっと2人だけで行動する寂しい遠足でしたが、秋の遠足は朝陽の成長を感じれる親子遠足でした。

これまで、なかなか朝陽を理解してもらえない寂しい幼稚園生活でしたが、新しい保育所での環境は、障害のことを理解し、共に成長を喜べる先生やお友達や保護者の方に出会えた事が、何よりも朝陽の成長に繋がっていると感じています。

だからこそ、自閉症という障害を持つ子ども達のことを知って頂き、少しでも理解が深まればいいなと私は願っています。

朝陽の通う保育所には、仲間のうたというものがあります。

ひとりが困れば みんながこまる
ひとりの問題を みんなで考え
ひとりの喜びを みんなで喜び
1人の失敗を みんなでおぎない
ひとりが進めば みんなが進み 
みんながみんなを よくしあいつつ
私達と先生が 君と僕が 手を取り語り合い
悪いことは悪いと
正しいことは正しいと
誰もがいえる

私は子ども達がうたう仲間のうたに、いつも勇気をもらっています。

朝陽はまだ、上手に歌えませんが、卒園するまでに、朝陽が歌う姿を見れたらいいなと、これからも朝陽の成長を見守りたいと思います。

成長スピードもゆっくりですが、朝陽が少しずつ自立して、笑って暮らせるように、これからも保育所生活を楽しみ、少しずつ成長する朝陽の姿を先生やお友達や保護者のみんなと一緒に喜んでいけたらと思っています。

 

(5)療育 個別訓練での様子

この頃の療育での様子をご紹介したいと思います。

私は時々療育での参観をしています。参観に行った時に療育で行っていた事をお話ししたいと思います。

療育の活動の中では椅子取りゲーム→朝の会→制作→給食の様子を見てきました。

椅子取りゲームではルールを守りながら、集中してとても楽しそうに取り組んでいました。

時には、椅子取りゲームで負けて泣く事があるそうですが、この日は運良く勝ち上がり、一番になれて嬉しそうでした。

朝陽の喜ぶ姿はもちろんですが、ゲームの途中、小さい子に空いてる席を教えてあげたり、負けて泣いている子を慰めたりと、朝陽の友達を思いやる姿が見られ、私もとても嬉しくなりました。

朝の会では、日付や曜日や天気の確認をしたり、お名前を呼ばれて返事をしたり、出席しているお友達を数えたりと、それぞれに成長を感じる事が出来ました。

次に制作活動を行っていました。

新年に向けて、みんなで門松の制作を行いました。先生から制作の手順を聞いて頑張って取り組んでいました。制作は、それぞれの子ども達に個性が現れて見ていてとても楽しかったです。

そして最後に給食の様子を見ましたが、頑張って箸を使って食べる姿や、苦手ないんげんなどの野菜も頑張って食べており、2年前療育へ行き出した頃に比べて、食事の面でも偏食が少しずつ改善され、本当に成長したなと改めて感じる参観となりました。

参観の様子は動画でもご覧いただけますので良ければご覧ください。

第10章 自閉症の習い事

(1)スイミングでの悩み

朝陽は、2歳くらいからの頃からお風呂の中でずっともぐっていられる子でしたた。

普通なら、水への恐怖心から顔に水がかかったり、潜るのが怖いと思うのが子どもですが、朝陽は当時衝動的な行動も多かったからか、こちらが不安になるほどお風呂にもぐって遊ぶのが大好きでした。

やめなさい、早く上がりなさいと言っても、それでも朝陽はずっとお風呂にずっともぐっているのが大好きで、幼稚園や療育でのプールの時間もとっても楽しそうに過ごしていました。

朝陽にスイミング教室へ行きたいか尋ねると、目をキラキラ輝かせて「行きたい!」と言うので、いくつかのスイミングスクールへ連絡をしました。

しかし、朝陽の発達障害について伝えると、どの施設も受け入れてくれませんでした。

そんな中、1度体験に来て下さいと言ってくれる施設があったので、朝陽と体験に行くと「問題ありませんよ!」と快く入会を引き受けてくださいました。

それから朝陽は毎週楽しそうにスイミングへ通っています。

スイミングがお休みの日でも、今日スイミングに行ける??と聞いてくるほどです。

現在は週に1度ですが朝陽が望むのであれば、週に2回通う事も考えてみようと思っています。

そして、入会して3ヶ月がたち、先日、初めての進級テストをうけてきました。

朝陽は15級の進級テストを受けました。

テストのチェック項目は5つありました。

・ビート板を使って浮き身や顔つけが出来るか
・ラッコが出来るか
・ラッコ浮き身から一人で立ち上がれるか
・頭まで潜れるか
・立ち飛びジャンプが出来るか

結果は、不合格でした。

練習の時から、ビート板を使っての浮き身が出来ていなかったので先生からもこのようなアドバイスがありなかなか出来ませんでした。

・手足を伸ばして板浮き身をしましょう
・足が沈まないように浮き身をしましょう

朝陽にテストの結果を伝えると、少し表情を曇らせましたが、私は朝陽をぎゅっと抱きしめて、テスト頑張ったねと朝陽へ伝えました。

そして、私は朝陽へ聞きました「お友達がバッチをもらって、朝陽だけもらえなくても泣いていいかな?」と。

「泣かない」と朝陽は言いました。

「また頑張れば、いつかバッチがもらえるからね」と伝えると

「頑張る」と言って、また楽しそうにいつものようにスキップをしながらスイミングへ行きました。

少しずつでいいから、何年かかってもいいから、朝陽のスイミングキャップにカラフルなバッチが増えていくのを私は楽しみに見守っています。

朝陽ならきっと出来ると私は信じています。

 

もちろん朝陽がスイミングを楽しんでくれるのが一番だとも思っています。

 

(2)絵画教室での悩み

朝陽は絵を描く事が苦手です。

あまり好きではありませんでした。

正直、年少くらいまでは、何を描いたか母親の私にも良く分からない絵だったのです。

年中クラスに進級してからは、少しずつ何を描いたか分かるような絵になってきました。

しかし、基本的に絵を描くことにあまり興味がないのか保育園の活動も気分がのらない時は活動に参加しないそうです。

そんな朝陽に少しでも絵画の楽しさを知ってもらえたらいいなと思い、長男や次男がお世話になったスタジオアートクラブのケイ先生が月に1度開催する絵画教室へ参加してきました。

自閉症だという事や絵が描けない事をケイ先生にお伝えし、それでも是非参加してくださいとのことだったので、朝陽にとっていいきっかけになればいいなと思い参加しました。

絵画教室当日、私は教室の外で終わるのを待っていましたが、教室からは、子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきました。

朝陽も絵画教室を楽しめたそうです。

けい先生が丁寧にネズミの書き方を教えてくれたんだろうなと思える、ダイナミックで力強く、一人一人の子供達がそれぞれに素敵なネズミの絵を描いていました。

朝陽に上手にネズミがかけたねと伝えるとチーズ君だよ!と教えてくれました。

あさひが頑張って描いた絵には、あさひなりのストーリーがあり、私も朝陽の描いた絵に愛着がわきます。

二回目の絵画教室は次男も一緒につれていきました。

二回目の絵画教室は前回のネズミより少し難しかったのか、朝陽が描いたタヌキの絵は、私自身も良く見ないと正直どこが顔でどこが口なのかも良く分からない絵でした。

それでも、先生からは、朝陽くんは、お手本の絵を真似して一生懸命書こうとする姿が見られ、ちゃんと描けてましたよと言ってもらいました。

私から見たら正直ぐちゃぐちゃに塗ったような絵の具の色も、朝陽の独特な色使いで面白いと先生は言ってくださいました。

オレンジ色でかいた部分がたぬきの耳で、たぬきの目や口や体や尻尾などは、絵の具で潰れてしまっていますが、なんとなく たぬきを描いたんだろうなと思える絵になっていました。

次男はしっかりと描けていて、わたしにも上手に描けたでしょ?と見せてくれました。

朝陽と次男の絵を比べないように配慮しながらも、それぞれの頑張ったところを沢山褒めてあげたつもりです。

それでも、私はどうしても、心のどこかで、朝陽が上手に絵を描けない事を気にしてしまい、正直、朝陽の絵を手放しで褒めてあげれていないような気もしているのです。

そんな自分自身が嫌になることもあります。

どういう言葉を朝陽にかけてあげたら、朝陽は自分の描いた絵に自信がもてるかな?

いつになったら、みんなと同じような絵がかけるようになるのかな?そんな事をふと考えてしまう日があったり。

朝陽自身を認めてあげたい気持ちをもちながらも、みんなと同じであることに一番こだわっているのは結局は私なのではないかと。

そんな自分自身に落ち込む事もあります。

他の子のように、お手本をしっかり真似て描いたり、綺麗な色の絵の具で描ける事を求めすぎて、本来の目的であった、アサヒが絵画を楽しむ事 
そんな大切なことを見失いそうになる日があります。

みんなと同じような絵を描くことが全てではない。

朝陽には朝陽の表現があり、それが個性であり、それを沢山褒めてみとめてあげたい。

大切なことを忘れずにいようと思います。

第11章 きょうだい児の悩み

第12章 療育手帳再検査

我が家の住む自治体では、療育手帳を取得すると2年おきに手帳更新手続きをしなければなりませんが、児童相談所の判断により更新時期が短縮されたり延長される場合があります。

2018年に取得した我が家は更新日が2020年2月となっていました。

1ヶ月前に自動相談所へ連絡をし、予約をしました。

当日、朝陽二人で児童相談所へ行き、保護者との面談、そして朝陽は発達の検査をしました。

内容は、2年前と同じ田中ビネー式での検査でした。検査結果は、前回同様 B2の軽度知的障害の区分でした。

療育手帳を申請しても障害判定の結果や手帳の交付が認められなかった場合は不服の申し立てをし再判定の手続きをとる事も可能だそうです。

療育手帳B2という事で引き続き様々な福祉サービスを受ける事が出来ます。

例えば、所得税控除や運賃割引や障害者福祉サービスなどです。

療育手帳を取得すると様々な福祉制度を受けれますが、障がい程度によって変わってきます。

例えば、朝陽のように、軽度知的障害の区分にあたるB2の場合は自動車税免除や、有料道路通行料金割引などの福祉制度を受ける事は出来ません。

我が家が良く利用するのは、公共の交通機関や、施設の割引サービスなどです。

また他にも療育手帳を持っている事で、テーマパークの列に並ばずにアトラクションを利用出来るサービスを受ける事が可能です。

外出が困難な障がいのある方へ、外出の後押しをしてくれる有難い福祉サービスだと思います。

再判定をした事で、やはり朝陽には知的な問題がある事を改めて感じました。

 

児童相談所の判断により次回の更新は2年後ではなく4年後に更新することになりました。

判定の結果に全く落ち込まないと言えば嘘になりますが、今回の結果を受け止めて、これからの朝陽の生活を親としてできるだけのサポートをしていきたいと思っています。

第13章 就学前の心理検査CARSの結果

発達障害の息子は1年後にはいよいよ小学校1年生です。就学前の再評価を目的として、小児自閉症評定尺度CARSという心理検査を受けました。

CARSとはこのように略されています(Childhood Autism Rating Scale)

私は正直今まで全く知らなかったのですが、簡単に説明すると、この小児自閉症評定尺度(CARS)とうい心理検査で自閉症かどうかを調べる事が出来ます。

息子は臨床心理士の方から医療機関にて検査してもらいましたが、私が読んだこちらの本にはセルフチェックも出来る様な評定シートがついています。

まだ検査はうけたくないけれど、なんとなくチェックしてみたいという方は是非購入してチェックしてみられるといいと思います。

ただし、セルフチェックというのは、お子様を客観的に見れなければ医療機関で受ける検査結果の判定と大きなずれが出ると思います。

チェック内容の15項目は以下の通りです。

1、人との関係
2、模倣
3、情緒反応
4、からだの使い方
5、物の扱い方
6、変化への適応
7、視覚による反応
8、聴覚による反応
9、味覚 嗅覚 触覚反応とその使い方
10、恐れや不安
11、言語性のコミュニケーション
12、非言語性のコミュニケーション
13、活動水準
14、知的機能の水準とバランス
15、全体的な印象

 

第14章 カミングアウト

私がInstagramでDMを頂く中で、友人など周りの人へは伝えていませんという方からのメッセージがほとんどです。

私は現在ユーチューブでも発信してますし、5歳を迎えたくらいの頃に友人や知人や会社関係の人やお世話になっている方などへ朝陽の障害のことを伝えています。

正直、カミングアウトをしてしまう事で随分と気持ちが楽になるのになという気持ちもあります。

ですが、カミングアウトしない、出来ないという人の気持ちも共感できる部分がたくさんあります。

なぜなら私自身、障害という言葉にとても抵抗がありましたし、それを知られることが恥ずかしいと思っていたからです。

 

現在の私は息子の障害が恥ずかしいこととは思っていませんが、最初からそう思う事はできませんでした。

だからこそ、障害のことを身近な人にほどしられたくないと隠していたんだと思います。

近年、発達障害に対する理解も広がりつつはあるものの、息子にたいする偏見だったり、腫れ物にさわるような対応をされることもあり、どうして我が子が?なぜ我が子が発達障害なの?私はどうやって育てていけばいいの?と落ち込む日もありました。

息子差別されたくないのはもちろんのこと、同情が欲しいわけでも、特別扱いされたいわけでもありません。

いつでも誰に対しても助けを求めているつもりでもありません。

自分ができる範囲内であれば、自分で解決していきたいですし、逆にほかの誰かが困っているときには私も力になりたいしサポートだってしたいとも思います。

きっとそう思っている親御さんも多いのではないかなとも思います。

そんな私を支えてくれているのは、学生時代からの友人や、長男が幼稚園の頃からの長い付き合いのママ友と朝陽が幼稚園に通っていた時のママ友、そして現在の職場の方たちからの理解や励ましが、カミングアウトをしたことによって私たち親子は支えられています。

2年くらい前まではまわりの友人が順調な子育てをしながら楽しそうな生活を見ると、どうしてもなぜ自分だけが?と落ち込んでしまったり、発達障害の息子を育てることが不幸なことでは決してないのに、友人の普通の子育てが羨ましく感じたり、結局自分は人と比較することでしか子供の成長も感じれませんでしたし、障害があっても幸せであるという事を感じることが出来ていませんでした。

息子は息子らしくちゃんと成長しているのに、それが幸せな事なんだという事に気付けなかった。

そしてそんな自分自身が嫌になることもあり、なかなか友人やママ友に伝える事ができず一人でかかえこんでいました。

そしてそんな私が友人やママ友に伝えた時のことをお話ししたいと思います。

幼稚園の頃からのママ友にもいろんなママ友がいますが、長男が幼稚園に通っていいる頃からの1番長い付き合いでもあるママ友は朝陽が生まれた時からずっと可愛がってくれていて、落ち着きのない朝陽には元気のいい3番目の男の子という印象で大変だねと一緒に話しながらも朝陽をお世話してくれたり、会ったときは沢山朝陽のことを可愛がってくれています。

障害のことを伝えた時も普段は冗談しか言い合わないママ友ですが涙を流して「朝陽はふつうにしか見えない」と言ってくれたり、「本当に障害なのかな?間違いじゃないかな」と私の気持ちに寄り添いながらも彼女なりの精一杯の言葉をかけてくれました。

私はそれだけで十分でした。

ずっと変わらず朝陽を可愛がってくれる彼女の気持ちが暖かくて、そんな彼女の存在はこれからもずっと大切だなと感じています。

そして学生時代の友人に伝えた時のことにもふれたいと思います

私には学生時代、保育士になることを目指して共に学んできた大切な友人達がいます。

10代の頃から今でも変わらず仲の良いグループですが、そんな大切な友人にも息子が発達障害であることを2年間ずっと隠していました。

5歳の誕生日を迎え、朝陽の子育てにもなれてきましたし、朝陽の障害を私自身がうけいれるようになったということもあり、そんなタイミングで友人にも伝えました。

友人は「今までよく一人でがんばったね」「つらかったよね」「大変やったよね」「気づいてあげれなくてごめんね」とたくさんあたたかい言葉をかけてくれましたし、朝陽の幼稚園時代のママ友からは「幼稚園に通っている時に相談してくれたらよかったのに」と言ってもらいました。

そしてこれからの事も「何かあったら話してね」や「手伝える事はいってね」「応援してるよ」などと心温かく励ましてくれました。

また学生時代の友人はみんな保育士をしている事もあり、私のような保護者への対応もいろいろ経験している事からいろんなアドバイスをくれます。

「受け入れるまでに時間がかかる事は絶対だし、受け入れてからまた違う世界が広がるのも絶対だよ!」と心強い言葉をかけてくれました。

また障害があっても「朝陽は朝陽のままだよ」と朝陽のことをちゃんと受け入れてくれました。

私は、こんなにも心強い友人がいるのにどうして頼らなかったんだろう?

子育てが辛い時に辛いと素直に言えばよかった助けて欲しいときに助けてといえばよかったもっと周りにいる人を信じてたよっていけばいいと教えてくれたのも学生時代の大切な友人やママ友達です。

友人にちゃんと息子の事を伝えれるまで2年という時間がかかりましたが友人にカミングアウトした事を私は後悔していませんし、伝える事ができてよかったなと今はそう思っています。

もちろん私は「発達障害のことを誰もが、その事実を明かすべきである」とは思っていません。

また「実は子供が発達障害で」と打ち明けてくれた方の話を他人に話す事もするべき事ではないと思います。

それは、今の自分が、発達障害に関して明かした時に、差別されたり偏見の目でみられるような、そんな環境ではなく、理解ある人たちに支えられ励まられアドバイスも頂きながら子育てしていけてる今があるからの考えです。

簡単なようで実は難しい、そういった周囲の方の理解というものがあって、発達障害の子どもたちの子育てができるということ、我が子が発達障害なんだよねと伝えたときに、「そうなんだね、じゃあ何かできることあったら言ってね!」と自然と言えるそんな社会であればいいなとも思います。

カミングアウトをするかしないかというのは、正直どちらでもいいのではないかと私は思います。

こちらの記事では、私が実際にカミングアウトしてよかったという体験談を書かせていただきました。

 

第15章 トイレトレーニング

朝陽のトイレトレーニングが完了したのは4歳の誕生日目前です。

保育園年少のころもオムツをして登園していました。

トイレトレーニング についてはブログに詳しく書いてますのでご覧ください。

また、トイレトレーニング 表を作成しましたので自由にご利用ください。

第16章 就学準備と進路決定

新年度がスタートしましたが、こういった外出自粛の状況が続き何も前に進んでないような焦りもでてきます。

4月に就学相談の予約を市役所へしました。

なんとか相談会が出来ましたので、教育委員会の方2名と私の三人で行いました。

就学前の発達検査

朝陽は一度クリニックを変更しております。
3歳の頃に自閉症スペクトラムと診断されたのですが特に詳しい検査などもなく、保護者からの聞き取りと幼稚園から頂いた朝陽の情報をもとに自閉症スペクトラムという診断がつきました。


私はその事に違和感を感じていたので、通っていたクリニックを変更しました。
そこで受けた検査はこちらです
検査結果についてはこちらの動画をご覧ください。

そして朝陽が6歳の誕生日を迎え、小学校就学へ向けての知能検査が必要となり始めてウィスクの知能検査を受けました。

当時の結果についてはこちらの動画でご紹介しています。

この結果をもとに、教育委員会の方とも就学相談の面談を経て朝陽の就学先を「特別支援学級」と決定しました。

就学先について悩まれる方は多くいらっしゃると思います。どうして支援級にされたのですか??というご質問も多くいただきます。

我が家は総合的に判断して朝陽にとって学びやすい環境、通いやすい環境は支援級だろうと判断しました。

どんな進路を選択したとしても、その環境が合わなければいつでも方向転換する事だって出来るのです。

私も時に、この進路で正解だったかな?なんて思う事、全く無いといえば嘘になります。

だけど。

子どものために一生懸命悩んで出した答えに
正解も間違いも無い。

私はそう思っています。

第17章 特別支援学級へ入学

朝陽は4月より小学校の特別支援学級へ在籍してます。支援学級へ在籍ですが、通常のクラスで朝の会に参加したり体育や図工などの授業に参加したり一緒に給食を食べたりと通常クラス(交流級と呼ぶ)でも他のお友達と一緒に楽しく過ごしています。

しばらくは楽しく通っていましたが、6月後半から少しずつ学校へ行きたくないと口にする事や、歩いて行きたくないと言い車で送迎することも増えました。
想定内ではありましたが、やはり親としてはしんどいと感じる時もあります。

しばらく朝陽が乗り越えれるように私も見守っていきたいと思います。



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これまで朝陽が通ってきた療育先や発達検査を受けたクリニックなどはラジオでお話ししております。過去の放送でお話ししてますので気になる方は購入して聞かれてみてください。バックナンバーを購入すると1ヶ月分の放送を聞くことが出来ます

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2019年11月30日

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